あいちトリエンナーレ2013について思うこと

随分今更ではあるのですが、あいちトリエンナーレについて。今年の終わる前に残しておこうと思います。以前このブログにも書いたのですが、私は3年前のトリエンナーレをとても楽しみました。それまで知らなかった作家の作品に多く触れ、現代美術の見方について考えて、なんと素敵なものかと喜んだものです。特に、愛知県美術館学芸員さんがおっしゃっていた「同時代の作家の作品だからこそ、予備知識がなくても同調し、感じることができる」という事にには、なるほど!と思ったものです。
今回のトリエンナーレは3年前よりも、テーマが明確に設定されていました。かなりストレートに震災、原発をテーマにした作品も多く、自らを強くもって見る必要がありました。耐えられない人も多かったことと思います。私も、特に震災、原発を直球で表現した作品の多かった芸文センターなどは見終わってすっかり放心してしまいました。しかし、この心の疲れこそ、同時代の美術を鑑賞する醍醐味であるかと思います。現在も私たちの足元を、脅かしている問題を、いかにとらえるか。日常のなかで深く考える機会を持つことは難しいです。表だって口にすることも憚られるということもあります。現代美術は、考え、語るきっかけをあたえてくれるものです。今回の国際芸術祭について、様々な意見があがっているようです。的外れな指摘をされている方もいらっしゃるようですが…。
私も、全てが完璧で手放しで良かった!という感想は言えません。バリアフリーの表示や人的援助の不足、外国人来場者への案内の不備など種々気になることはありました。長者町会場の、3年前に使った会場がなくなってしまったことなども残念に思っています。
しかし、展示作品には大いに考えさせられました。特にプロジェクトFUKUSHIMA!や、提灯行列など一般の人が気軽く参加できるものが多く、娯楽性という面でも決して不足していたとは感じません。
現代美術の醍醐味は、自らの問題として作品を引き受け、感じ、考えられることにあります。大勢で手を繋いでまわる盆踊りでは、鑑賞者と作品はもはや一体です。何の文句がありましょうか。
願わくば、また3年後にもあいちトリエンナーレが開催されますことを。